ぱせりはめいんでぃっしゅです

もももの素が日常をららだらら

嘘のはなし。

 最近、友達と喧嘩しました。喧嘩したこと自体はただ私の不満と相手の不満がそれぞれ溜まったからなのでなんでも良いんですけど(良くはない)、そのときに言われたことで少し気になったことがあるのでとりあえず文章にしてみようと思います。

 喧嘩をしたときに大事なことって、相手の話をよく聞くことと、自分も変わるつもりでいることだと思うんです。相手の話をよく聞かないと、言われてもいないひどいことを言われた気持ちになってしまって話が拗れたり、相手が言った事と自分がそれを言われて感じたことの区別がつかなくなったりしますし、自分に変わるつもりがないと圧倒的に自分が正しいつもりになってしまって同じく話がややこしくなります。代わりにこの2つができていれば、喧嘩をしたことによって相手のことをよりよくわかるようになったり、自分のこともよりよくわかるようになったりするんだと思います。

 話がそれました。今回相手に言われてなるほど、と思ったことが、「将来の話をしたときに『かも』って言わないで欲しい」ということです。例えば、「また今度あそびにいくもんね」って言われたときとかに、私は結構「行くと思うけど、〜〜。」みたいな感じで、話をぼかす癖があるみたいです。これが、相手からすると、どうも不誠実に感じると。まぁそうですよね、ほんとは行きたくないのかな?と思っちゃいますよね。

 それで考えたんです、ぼくはなんで曖昧にするんだろう、別に不誠実にするつもりもいきたくないというわけでもないのだから、何か他に理由があるだろう、と。そこで思ったんですけど、ぼく嘘が苦手なんです。行動面のどうでも良い嘘はどうでもいいんですけど、行動の裏にあるintention(日本語なんだろう、意思?意向?ですかね?)のレベルの嘘が許せない。つまり、行くつもりは1mmもないのにいけたらいくね、みたいなのがすごくひどい嘘に聞こえるんです。行くつもりがないのなら、理由のレベルで嘘をついてほしい、その日は予定があるとか。たぶん一般的には、「また今度あそびにいくもんね!」「いく!」みたいな会話って、実際に行けないかもしれなくても嘘にならないんです、いくつもりはあるから。ただ、私はそこで、「最近忙しいんだよな…また今度ってどのくらい近くの予定の話だろう、私いまいっぱいいっぱいでそんな時間作ってあげられないかも」と思うので、いくって言えないし、喧嘩中に「仲良いもんね?」って言われても「いつもは仲良いと思うけど、いまの関係の状態を仲良いって形容するのは抵抗があるな」って思ってしまうのでうん!って言ってあげられない。相手が求めている回答もわかっているし、別にそこまでのコミットメントというか約束を求められているわけではないのだけれど、そう思えないことに対して同意するのは自分がしっかり嘘をついているような心持ちがするので心地が悪い。

 でも、これって改善が難しい話で。私は、こういう自分のまっすぐすぎるところというか考えすぎるところが悪いところだとは思っていないんです。むしろ少し好きです。どう考えても考えすぎだし、生きづらいなとは思うんですけど、でもそこが「悪い」とは思えない。もし直そうと思うと、自分は嘘をつくことを良しとしなければいけなくて、そこはぼくの道徳観的には譲れない。というか、喧嘩したくらいで揺らいで良いような道徳観とも思えない。かといって、「いきたくないわけではないのだけれど、〜〜いう理由で約束できない」みたいな感じで毎回言おうとすると、シチュエーションに合わないんです、そこまでの約束を求められているわけではないから。

 ここまで書いたんですけど、特に結論があるわけではないので、う〜〜〜〜〜んどうしようかなぁって話で終わりです。てっぺんぐらりん?