ぱせりはめいんでぃっしゅです

もももの素が日常をららだらら

「念願の夢」を叶えた話。

1年間くらいの出来事と今の話を徒然なるままにって感じで書くからいつもよりちょーーーっとだけ長くなるわぁ。正直、自分の中で全く整理がついてないことを整理したくて書くから、ちょっとしたレポート並になる気がする。なんの話かっていうと、去年の9月頃から一年とちょっと、すべてを捧げてきた演劇のサークルが、目指していた大会でGrand Prizeという優勝にあたる賞を取った話だ。念願の夢だったはずで、この賞を取るために文字通り全てを犠牲にしてきたはずなのに、なんだか気持ちがすっきりしない。

大学1年で演劇のサークルに入ったときは、正直すぐにやめると思っていた。演劇は私がやりたいことの一つではもちろんあったけども、「やりたいことのひとつ」であって、一番やりたいこと、と言い切れるほどの価値付けもできていなかったから。

でも、5月に辞めたいと思ってるって相談したときに、当時のチーフがすごくいい人だったから辞めずに続けた。忙しいならリハには最低限で良い、まだ辞める判断をするには早いからもったいないって言ってくれて、どうしても参加が必要な日、どうしてもやってほしい作業が何なのかっていう向こうが求めているものを明確に提示してくれて、好きなだけ悩め!いま決めなくていい!と甘やかしてくれたからこそ3年目まで残ろうと思えた。

いま思うと、優勝したい、GPと四冠を取りたい、と思い始めたのも当時のチーフのためだったかもしれない。頑張れません、リハ来れません、周りの1年とも仲良くできないから辞めますとダダをこねる私を、大丈夫!面倒見る!って言ってくれて、自分の睡眠時間も生活も何もかもを放り出して打ち込んでる人が目指してるものを、自分が足をひっぱりたくないと思った。自分も一緒に目指してみたい、なんてロマンチストなものではなくて、人の頑張りを無駄にする人にはなりたくない、応援はできないかもしれないけど、この人を壇上に上げたいと思った。

しかし、やっぱりうちの大学のこの会は人数が少なくて、お金もなくて、OBも少ないし、いわゆる弱小校だから、私が1年生のときは当時のチーフにGPを取らせてあげることができなかった。夢のまた夢のそのまた夢といっても良いくらい遠かった。1年の私にはわかっていなかったけど、他の大学の劇を見たときに現実を突き付けられるような気持ちだったのを覚えている。授賞式でも、他大のプロダクションが呼ばれてどんどん壇上に上がっていくのを見ながら、爆音で流される彼らのGPソングを聞きながら、最前列に座っていたチーフの背中を見ながら今まで頑張ってきたこと、応援していた気持ち、全てが頭からどんどん下に流れていって、足から靴、靴から床に流れ出て固まっていくような、固まったもので全く身動きが取れなくなっていくような気持ちだった。

2年目は大会が消えた。コロナの関係で、大会を運営する委員会を発足させることができなかった為、と聞いている。すごく失礼な話だが、私は正直、自分の代でもないし、その年に配属されたセクションがあまり好きではなかったし、例のチーフが引退したプロダクションでやっていけるのかという気持ちが大きかったから、ほっとした。と、同時に、自分達の代のチーフ会が例年よりは一足早く発足した。

全てが終わったいま振り返ってみると、自分がチーフを担うことにあまりにも抵抗がなかった、なさすぎたと思う。心理学の話ではないけれど、私には1年のときに経験した衣装・舞台化粧・マネージメントを担うセクションと、2年のときに入った音響を担うセクションの2つのセクションでチーフになれる可能性があった。だから、チーフをするかしないかのYesとNoではなく、AとBどっちが良いか、という比較に自分の中ですり替わってしまったんだろう。もちろん、踏みとどまって考えたところで結局はチーフをやったと思う。いつかは演劇に作る側として関わりたいと思っていたし、きっと就職したりしてからではそれは中途半端にしか携わることができない。学生のうちに手を出せる範囲で一番大きい規模で、一番大きい裁量権を持つことが可能なのは、議論の余地もなくうちだ。だけど、もっとチーフになるっていうのはどういうことで、どういうことをしないといけなくて、誰と上手にコミュニケーションをとれないといけないのかとか考えてから受けていたら、自分の責任感というか、覚悟というかが違ったんじゃないかと思う。それに、本来は大会を2回経験してから自分が執行代になるのに、私達の代は1回分しか経験してなかったのもあるかもしれない。お手本にできるチーフ像がにぶんのいちになっちゃってるわけだから。

とにかく、飛び込む形でチーフを始めてしまった。自分の怠惰と、マネージメント能力のなさに苦しめられる毎日だった。自分が頑張ってなかったとはいえないし、もっと頑張っていたらもっと早くに壊れていたと思うから、後悔してるとは言えないけれど、自分じゃないもっと頑張れる人がチーフをしていたらもっと違ったのかもしれない。衣装のプランを作る能力は誰よりも高かったと自負しているし、それを実現していく中で実現性を求めてプランを妥協していくのも仕方がないことだったと思う。

ただ自分が壊滅的に下手だったのが、ディレクターとのコミュニケーションの取り方だ。もちろん彼側が、衣装とメイクに対する理解、知識と経験が足りない(と私は思ってる)故に、向こうからの歩み寄りがなかったこともあるとは思うが、もっと私が、リハーサルが始まる前、衣装とメイクのセクションの重要性とどういう流れで作ったり探したりしていくのかみたいなプラン面以外の話を彼としておくべきだったんだと思う。それに、自分のセクション員との亀裂はいつできたんだろう。彼女達の性格と私が合わなかったと言えばそれだけなのかもしれないけれど。

あぁ、わかった。勝ったのに私が釈然としない気持ちなのは、もっと良い劇が作れただろうと思うからだ。私達が最終的に作ったあの劇は、勝つための判断だったけれど、妥協がいっぱいだった。今年は全大学が経験不足だったから、他のOBさんからのアドバイスをもとにして劇として良い劇になるかよりも、勝てる劇になるかどうかが基準になって優先されていった。

こんなこと書いてしまって、もしこのブログが知り合いに見つかったら裏で酷いことを言われそうだが、まぁどうせ3年会の中では私は裏で色々言われてるだろうからいっか。

もっと良い劇を打ちたかった。もっとプロダクション員を、最高の仲間だ!って言えるようになりたかった。勝ってしまった。