ぱせりはめいんでぃっしゅです

もももの素が日常をららだらら

LGBTの「生産性」議論について思うところがある話。

ちょっと最近、TiktokとかTwitterとか、そこのコメ欄とか、見ててとても腹が立ったんですけど、そっちでお気持ち表明したくなかったので、ここに書こうと思います。だってこれ日記だし。

 

ただの一個人の意見なんですけど、LGBTの生産性に関する議論って意味わかんねぇなって思うんですよ。なんか定期的にどこかの党の議員とかが新聞とかに、LGBTの支援は必要ありません!だって生産性ないもん!みたいなこと書いて問題になるみたいなんあるじゃないですか、あれちょっとそもそも議論としてナンセンスだと思うんですよ

 

まず大前提として、この「LGBTの支援」ってなんですか?っていう話なんですけど、これはおおよそ、ストレート&シスジェンダーの人達と同じ扱いをしてもらえるようにするよ!ってことなんですよ。要するに、今現在、性別・性的嗜好を理由に不当な扱いをされてるのっておかしいよね?それを正しましょうってことですね。この時点で、そんなことないですよおかしくないですよって思う人はもしかして人種差別とか男女差別も同じ気持ちなのかなって思うんですけど、ここから説明する元気はぼくにはないのでとりあえず置いておきます。

それで、この不当な扱いっていうのが多くの場合は結婚制度の話だと思うんですね。結婚できないと、税金・相続だったり病院や大家さんとのやりとりとか、まぁ実用的な面で色々不便なことだったり、「結婚したい」っていう至極あたりまえな幸せを何故LGBTの人は認められないのかみたいな話ですね。

 

じゃあ婚姻制度においての生産性議論、っていうことになるんですけど、これって2つの視点からおかしいと思うんですよ、簡単に言うと「婚姻制度ってな〜に」ってとこと、「生産性ってな〜に」の二本立てでお送りします。

 

まずそもそも婚姻制度は「生産性のため」の制度なのか、というところがあります。

生産性の観点からLGBTには結婚が認められません、ということは、生産性の観点からストレートには認められています、ということになります。でもこれって変ですね。だって、ストレートだからみんながみんな子供を産めるわけでも産みたいわけでも産むわけでもないじゃないですか。だから、生産性の観点から結婚を認めているのが本当であれば、婚姻制度自体に「子供を産めるか否か」の検査結果の提出の付随だったり、安全に子供を産めない年齢になると結婚できなくなる上限だったり、「子供を作る予定はありますか」アンケートだったりがあるはずなんですね。でもないじゃないですか。だってそんなん明らかに人道的におかしいですしね。さらにいうとトランスジェンダーの方が手術して戸籍上の性別を変えても、子供を作ることはできないんだから、結婚できないはずです。FtoMは女の人と結婚しますが妊娠させるための機能はありませんし、MtoFが男の人と結婚しても妊娠しません。でも結婚することができます、戸籍上での性別が変わっていれば。話がそれましたが、これらのことがないってことは、現状の婚姻制度自体そもそも生産性のためのものとは定義づけし難いということになります。そもそも現状の婚姻制度が生産性に基づいていない中で、LGBTの方には生産性の有無に基づいた基準で認めるか認めないかの議論になること自体がナンセンスなことがわかるでしょうか。

これはデータがないのでなんとも言えない&想像なんですけど、結婚をする男女に「どうして結婚を決めましたか?」っていうアンケートを取った結果を見てみたいです。子供の可能性・未来を考えてという人ももちろん一定数いると思いますが、100%ではほぼ確実にないと思うんですよね。好きな人と一緒にいることを誓うことが幸せだから、という人もまぁ最低25%前後はいるんじゃないかなと思うんですよ。予想ですけど。つまりは結婚って、たぶんだけど子供を産むための制度ではなくて、二人の間柄を社会的に認めます、二人の愛を世間が認めますよっていう話だと思うんです。だから、結婚していないと、入居が難しくなったり(高くなったり)、緊急時に病室に入れなかったりする、(逆に言うと結婚している紙切れ上の約束ひとつだけで、そこまで扱いが変わる)ってことだと思います。だって国と社会が認めてないんだもん、なんの証明があるんですか?って話なんですよ。そうすると、LGBT間の愛とストレート・シスジェンダーの間の愛に、何か違いがあるんですか?それって証明できるから言ってるんですよね?って気持ちなわけです。

 

ちょっと前後しちゃったかもしれないんですけど、じゃあ5万歩譲って、婚姻制度を生産性の観点から考えることが正しいとしたって、じゃあ「生産性」ってなんですかってはなしですね。この場合は、子供をもうけることができるか否かが生産性って話だと思うんですけど、これって少子化対策の話が混同されてるんだと思います。少子化対策自体は、まずデータとして子供が欲しいと思っているのに子供を産んでいないカップルが充分いること、かつ経済的な不安から産んでいないことなどがわかっているのですから、そっちの対策したらどうですか、って思います。具体的には、教育制度だったり子供に関することで病院でかかるお金の補償などに税金もう少し割いたらどうでしょうか。税金も上がるかもしれないですが、この世に生まれた限り全員高齢者になるんですから、無駄な投資というわけではないと思います。この話もしたいですが、少し(どころじゃないかも)話がそれるので一旦割愛します。

まずそもそも、LGBTのカップルでも生殖上の問題だけで考えれば、人工授精などを用いて子供をつくることもできますし、最近は女性の皮膚のDNAから人工精子的なものを作るだったり研究が進んでいます。また、日本国内だけでもさまざまな理由で親御さんと暮らせず施設にいる子供が4万人以上いるそうですね。この生産性の議論に乗るとすれば、LGBTの方々が里親として彼らを育ててくれる可能性を生産性と考えても良いのではないかと思います。まぁ少々乱暴な議論だと思いますが。

 

話がLGBT関連からそれますが、そもそもこの生産性の話自体私は苦手です。結婚、という制度ってかなり人間的な話だと思うんですが、「生産性」という言葉に落とし込んでしまうと、「子孫を残せるか」というかなり生物として低次元な話に落ちてしまうと思います。アメーバやプランクトンみたいな、え?生物なのかこれって習った当初思うようなやつらでも子孫を残そうと動きますし、生産性のことだけで言えば結婚なんてせずに子孫を残せる男性が子孫を残せる女性とできるかぎり多く交わることの方が効率的に多く子孫を残すことができて最も自然的です。でも、あぁそれそれ!そういうことだよ!それが良い!って思う人っていないんじゃないですかね。人間と動物を分けることの一つに、不合理な行動を時としてより良いと思うってことがあるんじゃないかと私は思います。生産性という言葉はインプット対アウトプットの率のことですが、人として生を受けて、「子供を残す」こと以外にもアウトプットあるんじゃないの?と思います。文学部だからかもしれないですけどね。

 

この話の中でよく見るのが「まぁ確かに子供残さないと困るしね」っていう話です。これは確かにそうです。仮に、全人類が子供を産みたくないですってなると、人類は死に絶えることになります。ただし、だからLGBTの結婚を認めないという結論には直結できません。結婚制度が子供を産むための制度ではないという話のこともありますが、LGBTの人が結婚できなかったからといって子供を産むわけではないからです。一定数の人は、親や社会からの圧力から男女婚をしたりするかもしれないですし、バイセクシュアルやパンセクシュアルの人は結婚できる男性のパートナーを探すかもしれませんが、比較的少数なのではないでしょうか。特にLGTの人たちは結婚できなかったからと言って、異性のパートナーを探しそうという人は少ないのではないかと思います。これも先ほどの話と同じくアンケートのデータなどがないのでなんとも言えないですが、私は人のセクシュアリティがそう簡単に変わるのだろうか?と思います。LGBTの人が選択して性自認・性的嗜好として生きていると思っているストレート・シスジェンダーの方は、いちど自分の性自認・性的嗜好が正しくないから変えろと言われたら、別の性になれるか&同性を愛せるかということを想像してみていただきたい。また、男親×2、もしくは女親×2はだめ!こどもに悪影響!と思うのに見せかけの男女婚で産まれるこどもは良いんですね笑と思ってしまいました。これは良くない気持ちかも。というかその話する人ってシングルファーザー・マザーにも差別的なんですかね?あ、話がまたそれました。

 

だから、まとめると、結婚制度って子供を産むための制度じゃなくない?っていうことと、生産性の話ってなんか変じゃない?っていう話です。ちょっと膨らましたら大学のレポートに提出できそうな文字数になってしまいました。とにかく、ぼくが言いたかったこととしては、こんな話されちゃうと、ここまで議論として破綻しているのにそう思うって言いたくなるっていうことは、差別的思考があるにもかかわらず理論武装できた気持ちになっているだけですよね?と思っちゃいますよ〜っていうことです。