ぱせりはめいんでぃっしゅです

もももの素が日常をららだらら

「最初」の特別感は要らないっていう話。

まずそもそもいったい何をどこから説明して書けば良いかがわからない。でもまぁほぼほぼ見るのが身内同然の人達だけだろうと思えば別に奇をてらう必要はないのかもしれないけども、なんだか「最初」はきちんと書かないといけないような気がしちゃうものじゃあないか。

 

ほんとうのほんとうの一番初めから説明しようとすると、わたしと親友ぽてことの出会いから説明しなくちゃいけなくてそれはそれは頗る長い記事になっちゃう。すこぶる、ってすごい厳つい漢字なんだなぁ、知らなかった。から、端折ろう。テレビの特集とかで、「24時間密着!○○さんの私生活!」みたいなのってよくあるじゃん?そういうのは大体有名人とか、何かを成し遂げた何かしらすごい人のやつばっかりで、兎に角普通の平凡の人の一日って別に知らない。だけど、ぽてこと話してると意外にも結構似たような境遇で育った(結構の定義によるけど)にも関わらずぜんぜん生活が違ったりする。あぁ、結局長くなっちゃったなぁ、だから普通の人の普通の一日って意外と面白いんじゃないかっていうのと、まぁぽてこに対するメンヘラの延長線上的な感じで日記共有したら面白くない?ってなった感じ。

 

要するに、たぶんこれからも忘れずにこの日記のアップデートを続けられるとして、すっごく普通のなんにも特別なことのないどちゃくそに平凡な一日を書き続けるだけなわけだ。だから、「最初」だけ特別な感じがするのはなんだか気持ちが悪いので、最初から平凡な感じにしたいなぁって思ってたらこういう纏まりのない文章になっちゃった。文体も定まらなくてバラバラだなぁ。でもたぶんずっとこんな感じだと思う。長く色々考えて推敲する文章も良いし好きだけど、この日記?ブログ?は兎に角勢いで書いた方が趣旨にあってる気がするのでそうしようと思う。

 

大学の授業で小説を書いたときは一生懸命言葉を選んだけど、こういう感じ書く文章の自分の言葉選びにも興味あるし、特に人が真面目に読む物じゃあないけど誰かはたぶん読むっていうのは個人的には新しい。私が書く文章の大体は、絶対に自分しか読まないっていうものか、絶対に誰かには真面目に読まれてしまうっていう読者を想定しないといけないものだ。この日記はそのどっちでもないから、自分しか読まないようで読者がいるかもみたいな感じ。あぁ、まあ何が言いたいかよくわかんないけど、今日から大学3年生のとっても平凡な一日を垂れ流すだけの日記が始まるよーんって話。