ぱせりはめいんでぃっしゅです

もももの素が日常をららだらら

普段よりは真面目な話。

誰にでもあることだと思うけれど、とにかく無性に死にたいときがある。特に「死」ということに魅力を感じるというわけではなくて、なんとなく、疲れたし眠たいなぁと同じような感覚。まぁ、私は別段アクティブに実行に移そうという気持ちはないし、もしもの為に自分で去るなら北海道とか北欧とか寒いところに行ってお酒を飲みながら外で大の字になって寝て凍るっていう手段を取るって決めてる(ことによって、冬じゃないととか飛行機のチケット取らなきゃみたいなステップがある)ことによって対策してるから、特に心配があるわけではないような気がするけども。でも良い気持ちではないので、なんか最近ぼ~っとなんでだろうなぁって考えてる。なんかアウトプットしたいなぁ、ってだけで特にまとまってないんだけどね。それで、とにかく、私の場合は基本的には自己肯定感が下がったときとかの無気力さの中で感じるわけだが、私は基本の自己肯定感が高いわりには何故か些細なことでどん底まで下がる気がする。

自分なりに色々と分析してみたところ、私の場合はたぶん育った環境に原因がある。頭の上に屋根があって取り敢えずはお金や教育に困らない環境を提供してくれた親には感謝しているが、私の親は二人とも情緒的成熟度(と言っていいのだろうか?emotional maturityの訳ってなに?)がすごく低いと思う。結果、私も低い。

説明が難しいけど、家族と接するとき私は「ずっと機嫌もノリも良い、ニコニコした良い子」でないといけなかった。そんなに難しいことに聞こえないかもしれないけど、つまりは、人間なら当然経験する悲しいとか腹が立つとかそういうネガティブな感情を表すことが禁じられてると言えばつらさが伝わるかと思う。

辛かったァ!とかそういうことが言いたいわけではなくて、それの何が問題かというと、つまりネガティブな感情との向き合い方を学ばないまま21歳になってしまったということにある。結果、サークルの人間に文句を言われた、他人が他人に対して悪口を言っているのを聞いてしまった、寝不足とかで自分の機嫌が悪い、などなど、些細なことでも自分や他人のネガティブな感情に触れると急に自己肯定感が下がる。私の自己肯定感は、「まぁ、でも私も、みんなも不幸じゃないし!だいじょ~ぶ!」って感じの根拠?的な感じで成り立ってるから、他の人にしても自分にしてもネガティブな感情に過敏だ。

う~ん、やっぱりあんまりまとまらないまま書き始めたらまとまらない文章になったなぁ。話の落としどころを見失ったので、この辺にしときまーす。お疲れ様です。